ヨガとの出会い。ヨガを始めたきっかけ。

ヨガを始めたきっかけインドとの出会い
ヨガを始めたきっかけ

サラリーマン時代に参考にしておりました興味を持った本の中に「マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著、超越瞑想と悟り」と言う本がありました。面白そうだと思い、読んでみましたが、全然歯がたたない、何を言っているのか、さっぱり分からない状態でした。
その時、「瞑想をしたいのであれば、ヨガから入らなければ・・・」とアドバイスを受け、「究極の健康法 ヨガ」羽成 孝著を手にしました。 それが私のヨガとの出会いでした。
そんな折、たまたま住んでいる団地の掲示板にヨガ教室の案内を見つけました。神奈川県綾瀬市の行っているポップコーンと言う集まりで無料に引かれて2ヶ月、8回のレッスンを受けました。
最初の日、(1995年2月)帰宅して、愛読書をみたら、なんとほとんどのポーズのモデルをしている女性が今日講習を受けた先生でした。
教えていただいていた間も、お話やポーズなど素晴らしく魅力的な先生だと感銘を受けていましたが、まさか自分の愛読書に登場されている 先生と出会うことが出来るとは全く想像もしていませんでした。その方が後に私の恩師となる安藤もと子先生でした。
この偶然の出会いをきっかけに私のヨガに対する興味がどんどん膨れ上がっていきました。
2ヶ月が過ぎ、このまま教室が終わるのも残念と言う事で、この教室を続ける事が出来ないかと、事務所に相談にいった所、 自主運営であれば可能との回答を頂き、早速参加者の中から希望者を募り、15名で「サバーシャナ」と言う会を発足しました。
これが、私のヨガにはいるきっかけになりました人生の始まりとなるきっかけでした。
サバーシャナ講師の安藤もと子先生は、既に20年位指導されているとの事でしたが、とても若々しく、魅力的な先生です。 その先生のすばらしい指導力に惹かれて、月2回の日曜日にレッスンを受けて来ました。
無理をしないで下さい。一日1ミリで良いです(1ミリ体を伸ばせばいいのです。
その積み重ねによって体が伸び柔軟になっていきます)。と何時もおっしゃっていました。
当時の私は技術営業職で日常生活がほとんどが車の生活でしたので、運動不足で、40歳頃からギックリ腰を4回も行ってしまい、 立っている事が非常に苦痛の毎日でしたがヨガを始めて3〜4年目頃からそれも気にならなくなってきました。
そのうちに朝、5分早起きして、ヨガを練習してから会社に行く様になると体調も徐々に良くなり始めました。 朝の目覚めも良くなり、それに伴い練習も5分が10分になり、15分・30分と延びていきました。 朝の練習が伸びていくのと平行して、疲れ方が変わってきました。
出張が多い仕事でしたが、長期出張も気にならなくなって来ました。出張先ではホテルで朝、ヨガをやってから一日が始まる様になりました。 水泳とマウンテンバイクにも挑戦出来るまでになり、マウンテンバイクでは大会に出るまでになりました。
2002年12月に安藤先生より、私の先生のレクチャがありますが、受けてみませんか?とのアナウンスがあり、参加しました。 東京ヨガ センター、羽成先生の「ヨガ スートラ」の講義でした。
羽成先生には、それ以来インド・ネパール・スリランカ旅行へもご一緒させていただきました。
2004年2月、羽成先生より、ネパールから来たニーマル先生のレクチャを行うから、受けてみませんかとの、お誘いを受けて、受講しました。 若い先生ですが、ヨガに付いては、汲めども尽きない、素晴らしい先生でした。それ以来、ニーマル先生にも師事してきました。
もう一人、日本ヨーガ禅道友会の講師であり現在会長をされております八田捷也先生にお会いましたのは1996年でした。 後に八田先生は我が娘の義理の父親となりました。 素晴らしい先生方との出会いに恵まれ、ヨガを勉強出来る事を楽しめる人生にめぐり合えました。

Dr,Nirmal Ray Gyari ネパール
インドとの出会い

「インドには、人それぞれに行く時期が必ず自然に訪れる」これは三島由紀夫氏の言葉ですが、私がその言葉の恩恵に与ったのは2003年12月でした。
東京ヨガ センターの主催で「インド聖地ヨガと瞑想の旅」でした。
リシケシ、ハリドワール、ルドラプラヤグ等はじめておとずれるところばかりでしたハードなスケジュールで都市を巡りましたが、 羽成先生より、貴方が今後ヨガを行う場合の参考になりますので、精一杯勉強して下さいとのお言葉もいただきました。 初めてのインド研修が恩師羽成先生と行動を共に出来た事を喜んでおります。
 その翌年2004年12月にも東京ヨガセンター主催のアーユルベーダーとヨガ体験のスリランカに参加する事が出来ました。
ウエリガマのリゾートホテルで、初めてのアーユルベーダーの体験、ドクターの問診で食事のメニューも決まる。 オイル マッサージも初めての体験でした。世界遺産のゴールも観光する事が出来ました。 12月26日朝7時頃、ホテルの前のビーチでヨガを堪能しました。
その後、象の孤児園やら、古都のキャンディ等最後の観光を楽しんでいる最中、ガイドの方の電話がなりました。 「タイの方で大地震があり津波が押寄せて来ている」と慌てた表情での話されていました。
そうです。史上最悪の犠牲者を出したスマトラ沖地震津波だったのです。 津波の被害のことなどピント来ない状態で観光を楽しんでおりました。夜の9時頃ホテルに到着すると、一階は瓦礫の山。 幸い、フロントが2階でしたので、我々の荷物も事なきを得たのですが、今朝ヨガをした海岸もプールも悲惨な有様でした。
そのうちに2人の若い日本の女性が泣きながら入ってきました。海岸のリゾートホテルから命からがら、たどり着いたとの事でした。 又、日本のヨガツアーの一行が津波の被害にあったとの事でした。 そのツアー会社は数年前まで、羽成先生が使っていて、被害に会ったガイドさんとも何度かインドに来た事があるとの事でした。
一日スケジュールがずれていたらずれていたら、我々もバス共々、津波にさらわれていた事でしょう。 又、朝のビーチでのヨガがわずか1時間遅かったら・・・。 帰国した後に知ったのですがコロンボ空港も我々の飛び立った3便位後に閉鎖されたとの事でした。 強運が重なり無事に帰国できたことに感謝するとともに、被害に会われた皆さんにお悔やみを申し上げます。

2005年12月トリヴァンドラムのシバナンダ アシュラムでのヨガ バケイション。
2006年12月にはニーマル先生のカトマンズのホームグラウンド アロギャ アシュラムでのヨガ バケイション。
2007年9月タミール・ナードゥ州にあります、ラマナ アシュラムでのヨガ バケイション。
2008年9月にも仲間を募り、ラマナ アシュラムを再訪しました。
2009年9月にはインドのアムリタプリのアシュラムに。「アンマ誕生祭ツアー」に参加しました。
2010年9月にヒンドゥー教のトリムルティのヴィシュヌ神を祭っているとの事で、カンボジアのシュリムアップにあるアンコールワットへ行きました。クメールぽい、ヴィシュヌ神に少々驚きました。
2011年9月にインド グジャラート州のアーユルベーダー大学の見学とGujarat Vidyapeeth大学でVarsha H.. Joshi swamiのヨガ講座を受講する事が出来ました。
2013年10月にインド ラマナアシュラムにてヨガ バケイションを行う。
2014年10月 インド リシケシのアシュラム「ヨガ ニケタン」にて、ヨガ バケイションを行う。
2015年10月 インド ラマナ アシュラムにてヨガ  バケイションを行う。

インド、ネパール、スリランカは日本とはまったく異なった世界?の様に見えますが、それでいて何か懐かしい国々、行く度にホットします。 なぜでしよう?
ヨガの本場インド・ネパール・スリランカの魅力 ヨガを勉強する為に必ずしもインドに行く必要は無いと考えます。 それぞれ先生方が勉強された事を日本語で教えてくれます。
又、インド、ネパールの先生方が日本に出張して指導してくれます。 交通費向こう持ちで、それでも、何故?インド、ネパールに行くのか?それは、その土地が持っているプラーナ「氣」だと思います。 その「氣」を貰いに行きます。
それぞれ受け取り方は異なると思いますが、そのプラーナを貰い、我が人生に反映出来れば最高と考えます。  
2008年の12月20日付けをもって、我が44年間に亘るサラリーマン生活に終止符を打ちました。 幸い仕事が有りましたので、生活の心配は無く、在職中もヨガの勉強をしておりましたが、 その中でパラマンサ・ヨガナンダジの先生の先生、ラヒリ・マサハヤの様な生き方が出来ないか?と考えておりました。
勿論、ラヒリ・マサハヤジの足元にも及びませんが、生き方だけは真似る事が出来ると常々考えておりました。 幸い、今は年金生活者ですので、ヨガ三昧の生活が出来る事を喜んでおります。
先生に恵まれ、生徒さん達、又素晴らしいヨガメイツにも恵まれ、毎日を過ごす事が出来る幸せを噛み締めております。 正しくヨガを伝える為の勉強はこれからです。
後何年生きられるか分かりませんが、今生で出来なかった分は来世で来世で出来なければ来々世で、今は準備期間だと考えております。


2013年11月追記